「旅する学校おおいた」編集部によるレポート記事①

昨年の「旅する学校おおいた」の模様について、編集部として参加したスタッフによるレポート記事をご紹介!

題:初めましての空間の中で、ひやりと刺さった言葉たち

はじめに
はじめの講義であったが、感染症の影響でオンラインになった。
ネクストチャレンジャーのみんなは、現地に向かえない状況の中、編集者という立場で、当日の様子を生で感じられる機会をもらった。
会場である「ENTO」にいってみたかったのと、講師である「福永あずさ」さんと一文字違いだったから会ってみたかったことがあり、近い課題を多く残して、往復 6 時間かけて会場に向かった。
当日は「なんで行くっていったんだろう。」と後悔が大きかったけれど、いろんな大人の厳しい言葉に出会えたから、よかったと思えた。

岡野さんからの言葉

「自分の成しえたいことのためのやっている」

今回会場になった日田の中心人物である岡野さんの、
この言葉は自分の活動に自信が持てなかった私を強くさせてくれた。
講義中盤の、岡野さんへの福永さんのインタビューの中で、
「自分の好きでやっていることが、街づくりにとらえられている。」
「それってどう思われていますか?」
「別にどっちでもいい。」
という会話の文脈の中で出た言葉だった。
カテゴリーや見え方よりも、
自己実現のためにやり遂げることの方が大事だということに気付いた。

私は今、大分県国東市に住んでいる。
思い付きで去年の春に大学近くのアパートを飛びだし、
知り合った地元の人が急に商店街の一角をタダで貸してくれた。
そして、これもまた思い付きで学習塾を運営している。
何も決まらないまま来てくれる塾の子や、手伝ってくれるメンバーの子がいて。
なんでこの国東という場所を選んだのか、
なんで学習塾をしているのか、ずっとわからなくて
ただその時の「やりたい」という感情に従っていただけだった。
いろんな人と話しをする中で、
「キャリア教育だね」とか
「教育に軸があるよ」とか
「地域貢献だね」とか
いろんなタグ付けをされた。
そのたびに、「私ってそのジャンル興味あったのだっけ?」と振り返り葛藤していた。
そして、分野や枠組で考えたとき、
いろんなところをウロチョロしていてどれも広く浅く関与しているようで、
わからなくなり、不安を感じていた。

そんなときに言われたこの言葉は。
枠組は勝手にカテゴライズされるだけで、
自らは意識しなくていいこと。
私はやりたいことを直感のまま、気分のままやっていけばいいのかなと思わせてくれた。
今、私の周りを見れば、「なぜ?」や「なに?」という深堀の単語が並んでいる。
「誰のため?」とか「なんのため?」とかは二の次でよく、
まずは「自分のため」とやりたいからやっているんだと胸張って言える大人に私もなりたい
と思った。
この岡野さんの強い
「自己実現のためにやっている」という発言は、
私に「あ、そもそも自分のために始めた活動だったんだ」と思い出させてくれた。
私がこの町に住んでいるのは私が住みたいから。
私がこの活動をしたいのは、私がやりたいから。
それだけで十分な理由になることを教えてくれた。
自分の中の確固たる自信と軸があれば、いつか誰かかがカテゴライズしてくれるし誰かが、いいようにとられてくれる。
そうなれるように、私は私と向き合って、自分とコミュニケーションをとって、
活動していきたい。


橋口さんの言葉

「それって気持ちよく巻き込まれている?」

本番前の準備時間に橋口さんが軽く私に尋ねた言葉。
この時は、話題の矛先はこの場にいない別の誰かだったれけど、
なぜかその場にいた私に刺さった。
多分、今は橋口さんにも刺さっているんじゃないかなと思っている。
事業を起こしたり、イベントを開いたり、
何かするのには必ず、人が関わる。自分一人ではできない。
地域で活動するときは、特にいろんな種類の人間が関わってくる。
もちろん、私の活動は私一人で完結していない。
やりたいことも活動の方針も明確じゃない私に関わってくれる人が多くいる。
ノリと勢いで集まったメンバーで、応援の気持ちで参加してくれる塾生と保護者がいる。
これに巻き込んでいる人の気持ちよさを私は考えたことはなった。

この問いは厄介で、私を 3 か月間、ずっと悩んでいる。
「気持ちよく巻き込まれるってどういう状況で、どうやってわかるんですか?」
と、その時、聞いておけばよかった。
「気持ちよく巻き込まれるとは?」
私のいろんな原体験を振り返って思い出したのは、
一人でご飯を食べに行ったら、隣のおいちゃん話かけられて、
気づけば一緒にお酒を飲んでいた時のことだった。
最初はちょっとの気まずさと不快感があって、
でも飛び込んでみると案外、楽しい。
興味のない話ばかりだけど、周りの雰囲気で面白く感じる。
つられて笑っちゃう感覚。たぶん、「気持ちよく巻き込まれる」というのは
「ちゃんと騙される」ということに似ている気がする。
「なんでここにいるのか?」や「なにしているの?」と聞かれたとき
「いや、この人に誘われてさ。」とか「ノリと勢いかな?」とかの理由に軽く受け流せる
いい意味で人のせいにできる環境のことだと思う。
深いコミュニケ―ションによって
仲間になっていく過程はいろいろあるけど、
一番手っ取り早くて、楽しいのは「だます」と「だまされる」の関係なのかもしれない。

福永先生の言葉

「今は文章がきれいになっちゃう時期なんだよ」

と、講義が終わった時間に福永さんが教えてくれた。
私は最近、文字を書くことと、言葉を並べる・組み合わせることが好きだ。
ちょっと前に、日常の何気ない出来事を書いたものを facebook にあげたときに
知り合いの数名から褒めてもらったことをきっかけに、よく文字を書くようになった。
文字を書いていくうちに、上手に人に伝えられてないことに気付く。
「ありのままかいても、ありのまま伝わらないんです。」と
福永先生に相談した時に、
「書き始めはなかなか、ありのままなんてうまくいかない」
と教えてくれた。
『ありのままをかく』というのは、一番難しい。
自分のカタチややり方、表現技法が定まってないから。
うまくまとまっている上手な人のマネをしているから。
福永先生は原因を端的に教えてくれた言葉は
当時の私の少し刺さった。
ちょっと文字をかくのを褒められたことで調子に乗っていた私を
優しくやっつけてくれた。福永先生が学んでほしい「ありのまま」の状態に自分もほど遠く、
この授業で学ぶことが多くあるとこを知った。
鼻をおられた後、福永先生の文字を読んだ。
ふんわりとした構成の中に、噛み心地の悪いリアルな描写があった。
その店の雰囲気が、文字から伝わってきて「これがありのままか」と実感できた。
こういう文章も書いてみたいと思えた。

終わりに
他にも、橋口さんと木藤校長は本番では愉快なキャラクターだけど、
私服は普通の大人なおじさんみたいで、NHK の裏側を見たような気になったことや
森重さんは意外に変な柄の靴下履いていたことが衝撃だったことや
あとは、なんて運営側の裏側の豪華な機材が見られたことも面白かった。
もう、きっと旅学の参加者のみんなは薄々気づいてしまっていることばかりだと思うけど。
「初めまして」から深く話し込んでしまう関係者ばかりのあの空間は
二度とないかもしれないけど、そわそわしたし、わくわくもした。
帰りの車、「行ってよかったなー」と、つぶやけたし、
皆に会える次回が楽しみだった。
もう、3 か月も経って、熱量も温度感も高くなってきて、
たくさんの言葉や人、場所に出会ったけど、
まだ、この言葉たちは私に刺さり続けている。

(旅する学校おおいた 編集部 徳永梓)