「旅する学校おおいた」を振りかえる―編集部によるレポート記事②

昨年の「旅する学校おおいた」の模様について、編集部として参加したスタッフによるレポート記事をご紹介!

題:私の想いで積み重ねる小さな実験vol.2

受講生の皆さん、初めましてに近いほど交流の少ない編集部に所属しています、大分大学理工学部建築学コース所属 野村凜太郎です。
出身は高知県本山町で、実家は母方の祖父母が昭和37年から営む八百屋を中心に生活しています。
もうすぐ23歳になります。よろしくお願いします。
僕は、編集部の徳永と暮らす実験室ikiの2回にある別室から講評をモニターで見させていただいていました。
第4回の授業・講評を終えて受講生の皆さんの中には、強い苛立ちや不安を覚えた方もいるのではないでしょうか。
そう思ったのには、理由があります。

僕は大分大学の建築学コースに所属しており、これまで設計課題に取り組んできました。
第4回授業の講評時間は、建築学科で課題ごとに行われる設計講評会の雰囲気によく似ていました。
設計課題では、
テーマとなる問いかけがあり、対象となる敷地、主要な表現方法などが、教授陣から提示されます。
旅する学校では、
あなたのつくりたい景色とその小さな一歩、というテーマをイメージ図・実験内容で表現することが求められました。
この段階で双方の類似点は、表現が自由であること、正解が存在しないこと、の2つです
そして、講評時の類似点は、けちょんけちょんにされること、です。
類似点に注目しながら話します。
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①表現が自由であること
建築といえば図面が必須でしょ、と思われがちですが学生の設計課題の途中講評などでは図面よりもむしろ
設計したい空間のスケッチ、ダイアグラム(空間システムの可視化)、コンセプト文章、といった
図面以外の表現を提出する場合が多くあります。
今回、旅する学校の宿題も、「あなたの作りたい状態(景色)とその小さな一歩」の表現は自由でした。
僕はこの自由を、投げやりに与えられた自由ではなく、可能性を探るための自由だと思いました。
例えば、
「私の理想はスケッチよりも写真の方が創造しやすいかも」
「僕の景色は文章で表現すると一番輝きそうだな」
「私は料理で人を笑顔にしたいから会場に試作品を持っていこう」、のような感じでしょうか。
この自由によって、私たちは個性を十二分に発揮する機会を得ることができます。
一方で、表現の手段を持ち合わせていない、手段はわかるけど上手じゃない、といった壁も当然存在します。
しかし、その壁は継続によって徐々に見えなくなっていくのではないでしょうか、
授業の翌日、第4回の会場である「暮らす実験室iki」を紹介してくださった市原さんが
受講生に向けてメッセージをくださいました。
そのメッセージの中に 「自分の心に火を灯し続けて、行動し続けること」という言葉がありました。
自分が想う景色を選んだ手段で表現することを楽しめる状況を継続する、
継続するためには自由であることが重要なのかなと思ったりもします。
②正解が存在しないこと
また、建築の話をしてしまいます。
世の中には傑作と呼ばれる建築があり、丹下健三・東京カテドラル、安藤忠雄・住吉の長屋、西沢立衛・豊島美術館、
などなど羅列を始めるとキリがありませんが、そのどれも正解ではなくそれぞれのタイミングにおける最適解だった
ということが考えられます。
時と場所が変われば、材料・構法(手段)、経済性の理論、建築家の思想も、全てが変化します。
故に、受講生の皆さんや僕が描く理想に一切の間違いは無い、と断言できるかもしれません
でも、その理想は今・その場所で最適解ではないのかもしれません。
その最適解を探る道中として、表現の自由があり、小さな実験があり、旅する学校があります。
間違いを恐れず、石橋をドカドカと歩いてみてはどうでしょうか、
③けちょんけちょんにされること
「この空間の何がいいのか」「この部屋は必要なのか」「ここはなんでFIX窓なのか」「これで心地いい空間になるのか」
「コンセプトが矛盾している」「そもそもこの敷地に適しているのか」「暗そう」「機能の違いが見えない」
建築学生は学生である期間、人生を2.5倍以上生きている建築家や教授、専門家の方々に質問でボコボコにされる時が
必ずあります。
こちらとしては、持てる力の全てを寝る間も惜しんで注いだつもりだったが、10分ほど酷評されて、その日を終える。
第4回の講評も西山先生、橋口さんの優しくも重たい言葉が、受講生の方々を打っていたように感じました。
実は僕にとって第4回の講評会が一番、受講生のみなさんと感情が一致した日だと思っています。想いを精一杯込めた
方々は悔しかったり、落ち込んだり、先生に苛立ったり、自分に苛立ったり、不完全燃焼極まりなかったはずです。
しかし、先生方の発する言葉にはしっかりと咀嚼することで感じられる意図があったようにも思います。
先生との対立を意識せず、自分を鍛えるための仮想敵として先生を捉え、
講評時の言葉を咀嚼してみてはどうでしょうか
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これまで入校式と授業、計4回みなさんと旅する学校でご一緒させていただきましたが、
まだまだ、みなさんと雑談したり、感想を語ったりという展開には至りません。
なので、僕が知っている範囲でデザインを考えることの楽しさだったり、重要性だったりをここで書き残しますので
これをきっかけにして、みなさんとの会話が広がることを目標に、残りの旅する学校に参加しようと思います。

○デザインとは
Designとは、グラフィック、ポスター、装丁、ブランド、ファッション、プロダクト、家具、建築、etc、
非常に多くの意味を含んでいたり、さまざまな言葉と結びつけられる言葉です。
デザインの定義は人によってさまざまで、それこそ正解はありません。
しかし僕には、多分これだろうな、としっくりきた文章がありました。
それは「デザインは技術の翻訳」というものです。
この言葉は、建築家の内藤廣さんの形態デザイン講義という、講義を書籍化した本の中で拝見したものです。
新しい技術が生まれた時、この技術がよくない形で世の中に出れば、人々はその技術を嫌悪するでしょう、一方で
この技術を美しく合理的に翻訳すれば、世の中に快く受け入れられるでしょう、というような流れで語られます。
この文章の重要な部分は「翻訳する」ということです。
一部の人間にしか伝わっていない魅力を多くの人に伝えられるように「翻訳する」
デザインしてください、と言われるとどうすればいいのかわからないけど、
翻訳してください、と言われればなんだか出来そうだな、当時の僕はそう思いました。
言葉と思考は繋がっています。
講評の中で話題になった耳障りのいい言葉たちは、短絡的な思考に私たちを縛り付けてしまいます。
コミュニティではなく、居場所ではなく、それぞれの言葉に翻訳することで思考にも広がりが生まれる気がします。

○翻訳を促進させる
先ほど書いた翻訳にはいくつかのパターンがあります。
そのパターンを示している書籍が太刀川英輔による進化思考です。
進化思考には、想像の構造と生物の進化を考え続けた著者の思考体系がまとめられています。
その中に「変異の9パターン」が登場する。
この9パターンは、
変量:極端な量を想像してみよう
擬態:欲しい状況を真似してみよう
欠失:標準装備を減らしてみよう
増殖:常識よりも増やしてみよう
転移:新しい場所を探してみよう
交換:違うものに入れ替えてみよう
分離:別々の要素に分けてみよう
逆転:真逆の状況を考えてみよう
融合:意外なものと組み合わせよう
の9つです。
いきなりこれらを提示されても何がなんやら、となってしまうのは僕も同様でした。
そこで、実家の八百屋を対象に9つのパターンの具体例を挙げてみたいと思います。
変量→仕入れる野菜・果物の種類を膨大に増やしてみる
擬態→DIYカフェのような暖かい木質の空間を真似てみる
欠失→値札を外すことで接客時の会話を促してみる
増殖→仕入れる野菜・果物の個数を増加してみる
転移→仮設的に新しい場所での販売を行ってみる
交換→ビニール袋をオリジナルの紙袋にしてみる
分離→八百屋、家族、僕、町、社会、それぞれの状況を話し合ってみる
逆転→自営業は家族を縛るものではない
融合→八百屋と建築は重なりうる
実際に考えてみると簡単ではないですね。
自分が進めている事業や活動のどの部分にどのパターンを適応するのか、部分が10あれば90通りになります。
でも、これを種にわいわい話すのはすごく楽しそうだなって思います。
僕は居間で1人、考えましたが。

○まとめ
以上で高知県出身の分大生、野村による第4回授業の記事は終了になります。
若輩者の粗末な文章をここまで読み進めていただき、本当にありがとうございました。
僕は、来年度からは大分大学大学院に進学し、この先二年間は大分で生活を送ります。
これまでは、温泉と魚介しか人に紹介できませんでしたが、
旅する学校を通し、大分を紹介するためのポキャブラリーが爆増したことを実感しています。
また、どこかでお会いした際は、立ち話でもしてもらえたら幸いです。
短い期間でしたがありがとうございました。

(旅する学校おおいた 編集部 野村 凜太郎)